鹿児島県南九州市にある知覧特攻平和館。
ここでは第二次世界大戦の末期に
沖縄戦で若くして命を落とした特攻隊の日々の記録が多く収容されています。
特攻隊の人々は、一つでも多くの敵艦を撃沈するため、
片道分の燃料を積んだ戦闘機で沖縄へ向かわれました。
そして、敵艦に体当たりして散っていきました。
年齢にして20代前後。
写真には、10代のあどけなさの残った顔も沢山ありました。
彼らの残した遺書には、家族への思いを書かれたものが多かったです。
育ててくれた両親への感謝、
残された家族の将来への願い
先逝く命に謝罪し、
家族に後悔の残らないために
自分はお国のために立派に勤めを果たします
だから、元気でいてください。
と強く強く書いてありました。
特攻隊員たちが寝泊まりして出撃まで過ごした場所
なんだか信じられません(´;ω;`)
まだ20歳なるかならないかの若い兵隊さんが
明日、大空に舞い散っていくというのに
堂々とした文字で、自身の死を覚悟し
大切な人に感謝を、お国のために忠誠を書くのです。
その精神力が凄まじいと思うのです。
私には、到底できないです( ;∀;)
それでも、やっぱり心の中では、恐怖で怯えていたのだと思うのです。
そういう思いに関しての資料は、ほとんど残っていないのですが・・・・。
時代も批評、在るべき姿もそこに在ったのでしょう。
今回の知覧訪問で、第二次世界大戦で勇敢に戦って散った若き戦士がいたことを知りました。
知覧特攻平和会館の中には、戦死した方の遺影、遺品、当時の姿の写真、戦闘機など当時の記録が多数残されてます。
また、生前特攻隊の方を支えてきた、食堂や旅館、女学生の姿もあったことが記録されてます。
ただただ”絶望”というものではなく、そこには沢山の愛の形がありました。
皆様一度、鹿児島に来られた際は、知覧特攻平和会館に足を運んでみてください。
戦争を知らないからこそ、実際にあった戦争を知る必要があるのだと思うのです。